吾妻橋の欄干に涼みつつ私はバツトを燻らせ乍ら暫時律子のことを想ふのである。律子は私にとつてのミユウズであつた。唯々喧しいのみのプライズゲエムやレエスゲエム、甚だしくはスロツトやパチンコもどきの雲集する薄暗き陋巷の紫煙卷くゲエムセンタアの中で、律子は常に私の天性を照らす女神であつた。 此の問はず語りの物語に風俗小説の見たやうな結末を附けるのであれば、後に「全周〆字箱」と云ふ機械の中で踊り歌ふ律子の姿を街中でひよいと見かけた私の姿を插入すれば事は足るであらう。 夏も過半を過ぎ我が據所とした筐體は帝都復興の波濤の内に失はれ、律子の面影はアアケイドの喧騒に掻き消され往くのみである。向日葵は頸を擡げ鶏頭は屹立して枯れつつあり。我がミユウズの馥郁たる香氣を奈邊に求むべし。